ルイガノ旅日記

2025年5月、gooブログから引っ越してきました。

同期生、熊本に集まる

九州でも氷点下の冷え込みが続いていましたが、寒気の流入も峠を越え、日差しの温もりが戻ってきました。本州南岸を低気圧が通過するため、今日から明日にかけて広い範囲でまとまった雨になりそうですね。

さて先日は、熊本在住の同期生2名が音頭を取って、関東や中部からの参加者を含めて有志10人が集まりまりました。私もこの機会に、九州新幹線を初体験。博多駅鹿児島本線から「さくら」に乗り継ぎました。

 

博多駅から38分で熊本駅に到着。熊本や鹿児島も近く感じられました。

 

熊本駅からは市電A系統「健軍」行きに乗車。路面電車は200円の均一料金で、現金のほかSuicaSUGOCAなど交通系ICカード、クレジットカードのタッチ決済やPayPayなどのQRコード決済にも対応していました。地元の方にはもちろん、旅行者にも便利なシステムですね。

 

こんなスマートな車両もありました。街なかを路面電車が走る風景っていいですね ♪

 

同期会は熊本城からスタート。ホテルに荷物を預け、集合場所の「桜の馬場」に歩いて向かいます。熊本城の東から南にかけて流れる坪井川に沿って築かれた「長塀」。場内に入る行幸坂(みゆきざか)のたもとから続く242mにも及ぶ石垣です。

 

その行幸坂の入口に建つ加藤清正公の像。甲冑と長烏帽子を身にまとい、さながら戦さの陣中で指揮を執っているようです。

 

甚大な被害をもたらした熊本地震からもうじき10年になります。天守閣は復旧したとは言え、その他多くの崩落部分は未だ修復途上。全体の復旧には30年以上かかる見込みだそうです。

 

地上の道は通行できないので、空中回廊のような特別通路を通って天守に向かいます。人通りのない石垣のそばで咲く梅も、心なしか寂し気に感じられました。

 

復旧が完了した大天守と小天守。大天守は一見、地上3層に見えますが、内部は地上6階、地下1階の7層構造となっています。

 

熊本地震の翌年熊本城を訪れ、ほぼ全ての瓦が崩落した天守閣や、至るところで崩れ落ちた石垣を目の当たりにしました。その折、城の再興に少しでも役立つことを願って「復興城主」に登録したのですが、それ以来初めて、甦った天守を仰ぎみて感慨深いものがありました。今はまだ天守だけですが、熊本城全体の修復も一歩ずつ着実に、丁寧に進められています。

 

最上階から見る熊本市街。遠くに広がっているのは阿蘇の山並みです。

 

熊本城見学を終え熊本市街下通りへ。次は研修会です。

 

今回のテーマは「地方自治」。定年退職後、市議会議員に転身した同期生に議論をリードしてもらい、これをベースに意見交換を行いました。

 

予定の2時間をかなりオーバーしましたが、その後は下通りの居酒屋「石松茶屋」に移動。懐かしい話に盛り上がりながら、熊本の郷土料理に舌鼓を打ちました。

 

ほんのり甘かった馬刺しの3種盛り。熊本と言えば馬刺し。外せませんね。

 

からし蓮根や一文字ぐるぐる(葱の一種「一文字」をさっと茹でて、白根を芯にしてねぎを巻き付けたもの)などなど。

 

サクッと揚がった小魚の天ぷらと揚げ茄子の田楽。

 

コースの〆は、高菜めしのおにぎりと太平燕タイピーエン)。最後まで熊本らしく締めくくりました。

 

翌日の研修は、田原坂西南戦争資料館からスタート。西郷隆盛率いる薩摩軍と政府軍が激突し、西南戦争最大の激戦地となった田原坂(たばるざか)の戦いに焦点を当てました。

 

田原坂資料館では、西南戦争にまつわる様々な史料を保管・展示し、維新後の急速な日本近代化の歩みを紹介しています。(中央は資料館館長の小宮さん)

 

田原坂周辺の立体模型を囲んで、17日間に及ぶ激戦の経緯について、小宮館長から丁寧で詳細な説明を受けました。

 

資料館の展望デッキから激戦の地を一望。手前が薩軍が陣を敷いた田原坂、低地となっている向こう側が政府軍が布陣した二俣台地です。田原坂一帯が急峻な崖のような地形となっていることがわかります。

 

資料館の裏手に建立された戦没者慰霊碑。西南戦争では、薩軍7,186名、官軍6,923名、民間人29名の命が失われました。後ろの石碑には、ほぼ全ての戦没者の氏名が刻まれています(完全には把握できていないそうです)。

 

田原坂から、鹿児島本線が通る低地を抜け、政府軍が陣地を築いた二俣台地の展望台へ。わかりにくいですが、写真中央付近に見えているのが田原坂です。

 

こちらにも慰霊碑が建てられていました。

 

西南戦争の激戦地、田原坂から二俣台地一帯の研修を終えて同期会は終了。行きと同じく、路面電車熊本駅に向かいます。

 

同期生みんなから信頼され、尊敬を集めていた友人が亡くなって、はや一年が過ぎました。彼を偲ぶため、学生時代の仲間が東京に集まったのは昨年の夏。その時に誰かが、「次は九州でどうだ」と呟いたのがきっかけで今回の集まりが実現したのです。若いころから仲間を大事にし、同期の繋がりの要だった彼。亡くなって尚、私たちを照らしてくれているようです。いい一周忌ができました。